| はじめに |
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| プロフィールのページに書きましたとおり、私はほんの少し競馬をやっています。(人生が破綻するような大金は決して賭けておりません。念の為) このページでは、そんな思い出深い馬につきまして、簡単な紹介およびエピソードをお伝えしたいと思います。 なお、現在のところこのページに名前が登場する馬はすべてがG1ホースですので、ページのところどころに貼ってある戦績ページへのリンクをたどっていけば、競走成績を見ることができます。(注:ハクタイセイは皐月賞馬でG1ホースですが、現在のところリンクの飛び先には競走成績は載っていないことがわかりました。お詫びして訂正いたします) また、私自身は馬の写真などはほんの少ししか持っていませんが、皆競走馬の世界では有名人(馬?)ですので、JRAのサイトに行くか、検索エンジンで検索をかけてやればきっと画像を見つけられます。 |
| トウカイテイオー |
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| 通算成績:12戦9勝 主な勝ち鞍:皐月賞(G1)・東京優駿(日本ダービー)(G1)・ジャパンカップ(国際G1)・有馬記念(G1)・大阪杯(G2) 91年JRA年度代表馬 JRA顕彰馬(競馬殿堂入り) 右の写真は、04/08/25、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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右の写真は、05/07/30、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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右の写真は、06/08/25、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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右の写真は、07/02/13、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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右の写真は、07/06/12、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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NEW! 右の写真は、09/08/10、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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NEW! 右の写真は、09/08/10、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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7冠馬シンボリルドルフの初年度産駒(種牡馬として最初の年に生まれた子供)として親の名に恥じない成績を残したトウカイテイオー。無敵の快進撃を続けた4歳クラシック(年齢表記方法が変わりましたので現在は3歳クラシックですが)、その後の度重なるアクシデント、もう限界かと思われた時の鮮やかな復活…など、ドラマチックな名馬です。 この馬を語るエピソードは数多いのですが、やはり93年の有馬記念での劇的な勝利を避けて通ることはできません。(この勝利がなければ恐らくはトウカイテイオーはJRA顕彰馬にはなっていなかったでしょうし) 前年92年の有馬記念で1番人気に押されながら、11着と惨敗したトウカイテイオー。その後故障し、戦列復帰を目指すもののなかなか順調には行かず、ようやくちょうど1年(正確には364日)経った有馬記念で復帰となりました。 当日のトウカイテイオーは4番人気。ファン心理としては、「トウカイテイオーは確かに強い馬だが、さすがに1年のブランクを経ていきなりG1有馬記念というのは調子が完全かどうかわからず、勝つまでは難しいのではないか」といったところだったでしょう。 しかし、トウカイテイオーは鮮やかに勝利を収めました!これは休養開けでG1レースを勝ったケースの最高記録です。(それまでの記録はサクラスターオーの皐月賞勝利後菊花賞直行勝利の約7ヶ月) 1番人気ビワハヤヒデ(93年の菊花賞馬・この馬もこの後天皇賞・春や宝塚記念を制した強い馬です)が最後の直線で万全の体制で抜け出したところを、外からトウカイテイオーが襲い掛かり、残り50mほどの地点で見事に差し切り、そのままゴール。…レースが行われた中山競馬場(千葉県船橋市)が異様などよめきに包まれるのがわかりました。 私は、このレースは東京競馬場のターフビジョンで観戦していたのですが、最後の直線でトウカイテイオーがビワハヤヒデをかわすところを見ながら、あまりにもドラマチックな結末に感動しつつ、拳を握りしめていました。…そう、私はビワハヤヒデを馬番連勝馬券の軸(最悪2着までにはなるであろうと思われる馬)にして、そのビワハヤヒデに勝つ可能性ありと見ていた5頭に流していたのです。…トウカイテイオーはそのうちの1頭。見事的中です。(ガチガチの買い方だ、と突っ込まないで下さい) 確かにトウカイテイオーは前年の有馬記念を惨敗していますが、この時はあまり体調がよくなかったと言われていましたので、その前の天皇賞・秋やジャパンカップの時と同程度の力が出せるのであれば、十分に勝負になると思っていました。 …結局、このレースがトウカイテイオーの最後のレースとなりました。94年秋に東京競馬場で行われたトウカイテイオーの引退式には、私も行ってきました(現在のところ、私が引退式に行ったのはこの時だけです)。昼休みの時間に行われた引退式には多くの人がつめかけ、一説によると当日行われた重賞レースの時よりも盛りあがったとのことです(笑)。 種牡馬としても、トウカイポイント(JRA・マイルチャンピオンシップ勝ち)・ヤマニンシュクル(JRA・阪神ジュベナイルフィリーズ勝ち)・ストロングブラッド(地方交流・かしわ記念勝ち)という3頭のG1勝ち馬を出したトウカイテイオー(2005年5月現在)。今後の活躍にも期待です! 戦績のページへ → トウカイテイオー |
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| ミホノブルボン |
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| 通算成績:8戦7勝 主な勝ち鞍:朝日杯3歳ステークス(G1)・皐月賞(G1)・東京優駿(日本ダービー)(G1)・スプリングステークス(G2)・京都新聞杯(G2) 92年JRA年度代表馬 右の写真は、04/08/24、原口圭二牧場にて撮影 ©t−shin,All rights reserved | |
故・戸山為夫調教師によるスパルタ調教が実を結び、前年のトウカイテイオーに続いて2年連続のクラシック2冠馬・年度代表馬になったミホノブルボン。3冠に挑戦した菊花賞では後に稀代の刺客として名を残すライスシャワーに敗れましたが、やはり強い馬であったことは間違いのないところです。 これは余談ですが、菊花賞でミホノブルボンの単勝馬券になんと50万円を突っ込み、見事紙くずとなった人もいたようです。(実話) 一般的には決して「良血馬」とは評価されないミホノブルボンが見事その才能を開花させたのは、やはり戸山調教師の手腕が大きかったと思われます。もちろん、いくら調教師の腕がよくても、馬自身に能力がなければ決して良い成績を収めることはできないわけですから、ミホノブルボン自身も当然評価されるべきですが。 菊花賞での敗戦後故障を発生し、何とか再起を目指したもののついにかなわず引退したミホノブルボン。もし復帰がかなっていれば、メジロマックイーン・トウカイテイオー・ビワハヤヒデ・(もしかすると)ナリタブライアンといった、違う世代の名馬達との勝負が見られたであろうだけに、残念でなりません。…あ、もちろん同期のライスシャワーへのリベンジも忘れてはいけませんね(笑)。 私としては、翌93年の天皇賞・春で史上初の3連覇を狙ったメジロマックイーンを見事破ったライスシャワーを基準に考えれば、前述の名馬達ともきっといい勝負になったと思います。ミホノブルボンは逃げ馬(スタートから先頭に立って、ゴールまでそのままトップでたどり着こうとする戦法を取る馬)ですから、マークされる分不利な面はありますが、相手の馬としても逃げるミホノブルボンに離されずついていき、追いつき、追いぬくことは簡単ではないのですから。 残念ながら、今のところ種牡馬としては目立った産駒を残せていないミホノブルボンですが、いつか父譲りのスピード溢れる産駒が誕生し、活躍してくれることを私は願っています。 戦績のページへ → ミホノブルボン |
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| マヤノトップガン |
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| 通算成績:21戦8勝 主な勝ち鞍:菊花賞(G1)・有馬記念(G1)・宝塚記念(G1)・天皇賞・春(G1)・阪神大賞典(G2) 95年JRA年度代表馬 春のクラシックのシーズンは条件馬ながら、秋に大ブレイクし菊花賞・有馬記念を連覇して見事その年の年度代表馬に輝いたマヤノトップガン。古馬(その年のクラシックレースを戦う世代(現在は3歳馬と呼ばれる世代)より上の世代の馬の総称)になってからは、決して悪くはないものの抜群というわけでもない成績でしたが、結果的にマヤノトップガンの最後のレースとなった天皇賞・春でしびれる走りを私の目の前で見せてくれました。 当時私は東京に住んでいたのですが、この天皇賞・春が行われた97年4月27日は、私は新幹線に乗って一路京都競馬場へ向かいました(現在のところ、京都競馬場へ行ったのはこの時だけです)。このレースは、サクラローレル・マーベラスサンデーとマヤノトップガンの3強対決といわれていましたが、私は戦前からマヤノトップガンの勝利を確信していて(だからはるばる京都に行ったのですが)、昼過ぎに京都競馬場についたら真っ先に全く迷わずマヤノトップガンの単勝馬券を1万円買いました。(念のために言っておきますが、普段の私は1万円も馬券を買いません。せいぜいが1日の総額5千円程度です) 天皇賞・春の前のレースは全く馬券を買わず、京都競馬場メインスタンド2階で直線走路とターフビジョンが良く見える位置をキープし続けました。そしていよいよお目当ての天皇賞・春です。 …実はこの時、私がさらにマヤノトップガンの勝利を間違いないものと考えることがおきました。G1レースの行われる競馬場のターフビジョンには、レースの直前に過去の回想映像が流れる(ことが多い)のですが、この時は過去のメモリアル映像として、メジロマックイーンとライスシャワーの映像が流れたのです。この2頭の共通点は、「天皇賞・春を勝った菊花賞馬」です。そして今回の天皇賞・春に出走する馬の中で、菊花賞馬はマヤノトップガンだけです! …無論、前の年に天皇賞・春を制したサクラローレルを指すという見方もできますが、天皇賞・春のメモリアル映像なのですから、出てくる馬が天皇賞・春を勝っているのは当たり前です。それにもしサクラローレルが勝つのなら、メモリアル映像は恐らく過去5年の天皇賞・春勝ち馬の紹介という内容になり、サクラローレルが映像を締めて終わると思います(ヤマニンゼファーが2度目の安田記念を制した時のメモリアル映像がこのパターンだったかと)。となると、「他に(競走馬の生涯で1度しか勝つチャンスのないクラシックレースの)菊花賞を勝っている」という共通点はますますクローズアップされます。…私は(こんなことはめったにないくらい)自信を持ってレースを見守りました。 レースは近年の長距離レースには珍しく、よどみのない早めの流れとなりましたが、最後の直線の勝負はやはり前評判どおり「3強」の争いとなりました。マーベラスサンデーがいったんは先頭に立つものの、サクラローレルが抜き返してそのままゴールかと思われた時、後方待機の作戦をとっていたマヤノトップガンが外側から襲い掛かり、ゴール前で見事に差し切り勝利しました。この時の勝ち時計3分14秒4は、それまでの芝3200mのレースの記録を大幅に塗り替えるレコードタイムでした(現在も破られていません*)。 この時の京都競馬場芝コースは、非常に早いタイムが出る状態と話題になっていたのですが、それを差し引いてもこのタイムは破格です。(私の勉強不足かもしれませんが、芝3200mのレースではその後も3分14秒台はおろか、3分15秒台のタイムも出ていないと思います) 結果的にこれが最後のレースとなったマヤノトップガン(同年秋引退)ですが、種牡馬としてもG1勝ち馬はいないものの、重賞勝ち馬は何頭か出ています。同じブライアンズタイム産駒のナリタブライアン(史上5頭目の3冠馬)が早くも世を去ってしまった今、ぜひブライアンズタイムの後継種牡馬となれるよう頑張って欲しいと思います。 (注)「天皇賞」は1年のうち2回行われます(いずれも最高ランクのG1)。春は京都競馬場の芝3200m、秋は東京競馬場の芝2000mで行われます。同じ天皇賞といっても行われる場所も距離も違うので、両者を区別するため、「天皇賞・春」や、あるいはもっと縮めて「秋天」と言ったりします。 *06/04/30、05年の三冠馬ディープインパクトが同じく春の天皇賞で3分13秒4のレコードタイムを出しました。レースの模様はTVで見ていましたが、しびれる強さでした。 戦績のページへ → マヤノトップガン |
| アイネスフウジン |
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| 通算成績:8戦4勝 主な勝ち鞍:朝日杯3歳ステークス(G1)・東京優駿(日本ダービー)(G1)・共同通信杯4歳ステークス(G3) …だんだんと私が非常にミーハーな競馬ファンであることが暴露されてきましたね(笑)。でも、私のミーハーがわかるあなたもそれなりにミーハー競馬ファンですよ(笑)。 アイネスフウジン。この馬もドラマチックな馬です。事情をよくご存知の方には、「どうせあの話だろう」としか思われないでしょうが…はい、東京優駿の話です。 前の年の朝日杯を勝ち、年明け緒戦の共同通信杯4歳ステークスも楽勝して、続く弥生賞こそ破れたものの1番人気で迎えた皐月賞でしたが、スタートでほかの馬とぶつかる不利を受け、ハクタイセイに敗れてしまったアイネスフウジン。東京優駿ではメジロライアン、ハクタイセイに次ぐ3番人気でした。 しかし、アイネスフウジンの騎手を務めていた中野栄治騎手(現調教師)は、「自分で馬券を買ってでもアイネスフウジンを1番人気にして、そして勝たせてやりたい」と思っていたと言われています(注:騎手や調教師、厩務員といった人たちは馬券購入を禁じられていますので、そんなことはできませんが)。中野騎手の中には、「皐月賞だって他馬とぶつかっていなければ勝っていた。この東京優駿こそは…」という思いがきっとあったと思います。ましてや中野騎手にとっては、ダービー制覇が狙えるような馬に騎乗できるチャンスはおそらくはもうないとの思いもあったに違いありません。現在の武豊騎手のように、G1の本命馬騎乗の話が次々と来るような騎手ではなかったのですから。(←決して武豊騎手を非難しているわけではありませんので、誤解されないよう) 皐月賞とは異なり、スムーズにゲートを出たアイネスフウジン。そのまま先頭に立ち、よどみのないペースでレースを引っ張ります。3〜4コーナーで後続馬に差を詰められるものの、直線で二の足を使い再び引き離し、追いこんできたメジロライアンを1馬身1/4退けて、見事ダービーを逃げ切りました。 この時のタイム2分25秒3は東京優駿のレースレコードタイムであり、その後東京競馬場がコース改修したことを考え合わせると、今後しばらくは(参考記録とはなりましたが)残り続けるのでは、と思っています。また、アイネスフウジンは逃げ馬ですから、このタイムはアイネスフウジン自身の力の証明に他ならず、その意味でも価値ある記録だと私は思います。 ゴールを過ぎ、逆回りにコースをメインスタンド前に戻ってくるアイネスフウジンに対して自然発生的に起こったのが、かの有名な「中野コール」です(これは私の独断ですが、この後の各種「○○コール」は、この「中野コール」を真似たお約束とでも言う不純な動機が混じっていると思います)。当日の東京競馬場の入場者数約20万人(今では東京優駿当日の東京競馬場は入場制限がかかるので、この入場者数も破られることはないということになります)から巻き起こった「中野コール」は、さぞ格別のものだったでしょう。 ちなみに私はこの時どうしていたかと言うと…テレビでこのレースを見ていました。この頃の私は日曜日には外出していることがほとんどでしたが、この時はたまたま部屋にいて、そしてたまたま競馬中継を見ていたのです。なぜ競馬中継なぞ見ていたのかは今となっては謎ですが。 このレース中に発生した故障が完治せず、二度とターフに戻らなかったアイネスフウジンですが、私はこの馬は競走馬としての仕事をやり尽くしたと思っています。それに、現役を続けていたとした場合、対決することになる同期のメジロマックイーンに果たして勝てたのか、…どうでしょうか? 04/04/05、アイネスフウジンは供用先の斉藤牧場で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。 戦績のページへ → アイネスフウジン |
| ディープインパクト |
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| 通算成績:14戦12勝 主な勝ち鞍:皐月賞(G1)・東京優駿(日本ダービー)(G1)・菊花賞(G1)・天皇賞・春(G1)・宝塚記念(国際G1)・ジャパンカップ(国際G1)・有馬記念(G1)・弥生賞(G2)・神戸新聞杯(G2)・阪神大賞典(国際G2) 05年・06年JRA年度代表馬 右の写真は、07/02/13、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved | |
右の写真は、07/06/12、社台スタリオンステーションにて撮影 ©t−shin,All rights reserved |
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久々にこのページに馬を追加したと思ったら、なんとまあミーハーな…(笑)。種牡馬入りしたばかりのディープインパクトです。 実は私、この馬が勝つところを生で見たことがありません。「そんなバカな!」と思われるかも知れませんが、実話です。 ディープインパクトの周りで3冠狂想曲が奏でられていた時期、家内は身ごもっていました。「せっかくだから3冠馬誕生を生で見よう!」と言ったところ、「指定席が取れたなら」との仰せ。菊花賞の指定席抽選に申し込んだんですが、何せあの日の京都競馬場はあの状態…あえなく撃沈しました。 仕切りなおして有馬記念の指定席を申し込んだところ、今度は当選しました。というわけで、05年のクリスマスの日、中山競馬場に出かけました。 当日の中山競馬場はまさにディープインパクト一色。「JRAさんここまで特定の馬に肩入れしていいんですかい?」と思ってしまいました。 有馬記念まで適当に小額の馬券を買ってみましたが、全く当たらないんですな、これが。「まあ、さすがに有馬記念ではディープインパクトは連対はするだろうし」と、あまり気にしてはいませんでした。 いよいよ有馬記念のスタート時刻になりました。家内と二人でゆったり座って観戦しようとしたのですが…!レースが始まるやいなや、私と家内の席のすぐ前の通路にどこかからオッサンが飛び出してきて、両手を振り回して視界をさえぎり、やかましいの何の。「何なんだ!大体このフロア(指定席)にいるということは自分の席があるんだろう!自分の席で観戦しろ!」とよっぽど言いたかったのですが、押し問答している間にレースが終わりそうなので、とりあえず抑えました。 そしてレースはご存知のとおり、ハーツクライが押し切ってしまいました。その時の中山競馬場の微妙な雰囲気はいろいろなところで語られていますが、私と家内のあたりに漂っていたのは、例のオッサンの騒ぎ立てる声でした。馬券的にも、馬連のディープインパクトの相手にハーツクライを選んでいなかった(前走ジャパンカップの反動が来ると思ったので軽視)ためはずれ。家内と二人オケラ街道を西船橋までとぼとぼ歩いたのでした。 結局、ディープインパクトが国内で負けたのはこの1戦だけでしたので、私はディープインパクトが生で勝つところを1度も見ていないことになります。 種牡馬としてのディープインパクトですが、既に実績のあるサンデーサイレンス産駒種牡馬が、社台スタリオンステーションだけでも数多くいる(ダンスインザダーク・スペシャルウイークetc.)ので、なかなか厳しいものがあります。今年は良血繁殖牝馬が多数回ってくるとのことなので、初年度産駒の出来が勝負だと思います。 戦績のページへ → ディープインパクト |
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